荏原製作所

Vol.4 1987年世界遺産登録(イタリア) ヴェネツィアとその潟 Venice and its Lagoon  ヴェネツィアを逆さにすると、森が現れる?

ヴェネツィアとその潟は、イタリアの北部に位置する世界遺産。「アドリア海の女王」とも呼ばれ、誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。120近くの島が150をこえる運河と400の橋で結ばれており、独特な風景をもつ海の都だ。

ヴェネツィアとその潟※このイラストはイメージです

自然を利用してつくられた美しい水路

ヴェネツィアの誕生は5~6世紀。湾の周辺に暮らしていたヴェネト人が、蛮族に追われ、葦の生い茂る湿地(ラグーナ:潟)に逃げ込んだことから、その歴史が始まった。
人々は土台として硬い丸太を湿地帯に打ち込み、その上に石を積んで建物をたてて街を築いた。「ヴェネツィアを逆さにすると森ができる」と言われるほど、多くの木が使われている。
また、街中には大運河「カナル・グランデ」から、小さな運河がまるで毛細血管のように広がっている。これはもともとラグーナにあった自然の水路を、そのまま掘り下げて「運河」にしているからだ。そのため潮の干満によって絶えず潟は浄化され、海水が流れることで生態系を保っている。
地上も狭い小道が多く、自動車の通行が禁止されているため移動手段は船か徒歩。観光客は風情のあるゴンドラで運河をわたりながら、街並みを散策することができる。
海の都ヴェネツィアは、自然を活かしながら人間がつくりあげた「人工美」の極致なのだ。

ヴェネツィアとその潟

優れた技術者を集め、産業を発展

ヴェネツィアは、7世紀末から1000年以上続いた共和国だった。海上貿易の中心地として繁栄し、14~15世紀には全盛期を迎え巨万の富を得ることになった。これが「アドリア海の女王」と称された所以だ。
1474年、ヴェネツィア共和国では世界で初めて特許法が制定された。有用な発明の利益を保証することで、優れた技術者がヴェネツィアに集まり、産業が発展することを期待したのだ。1594年には「近代科学の父」といわれるガリレオ・ガリレイが、揚水機(らせん回転式ポンプ)の発明によってヴェネツィア政府から特許を取得したという記録が残っている。

ヴェネツィアとその潟

厳しい環境から守り、後世へ

反面、この歴史的な街は、しばしば水没の危機にさらされる。地下水の汲み上げによる地盤沈下や、地球温暖化による海水面の上昇で、たびたび浸水の被害が起こるのだ。特に秋から春にかけては高潮や季節風、低気圧の影響により海面が上昇し「アクア・アルタ」と呼ばれる大洪水が起きやすくなる。
この美しい街を後世に残すため、巨大な可動式の堤防で洪水から守るプロジェクト(モーゼ計画)も始動した。海の上に築かれた稀有な都ヴェネツィアは、これからも水とともに歴史を刻んでゆく。

ヴェネツィアとその潟

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