荏原製作所

Vol.5 マチュ・ピチュの歴史保護区 	Historic Sanctuary of Machu Picchu 1983年世界遺産登録(ペルー) 世界中の人々を魅了する、雲に囲まれた空中都市

マチュ・ピチュは、ペルーの山奥に築かれた神秘的な都市遺跡だ。周辺に広がる貴重な生態系をもつ自然も、世界遺産に含まれている。山の麓からはその姿が確認できないため、“空中都市”とも称される。

マチュ・ピチュの歴史保護区※このイラストはイメージです

400年の眠りから覚めたインカ帝国の遺跡

マチュ・ピチュが築かれたのは、15世紀。滅亡したインカ帝国の遺跡の一つで400年近く眠りについていたが、1911年にアメリカの大学教授ハイラム・ビンガム氏によって発見された。インカの人々はアンデス山脈の高地、狭い山の尾根の上に計画的に都市を築いた。総面積5k㎡にわたる遺跡には神殿、住居、段々畑や灌漑施設の跡がほぼ完全な形で残されており、人々の生活が感じられる。
だが決して住みやすいとは言えない高地に、なぜ要塞都市がつくられたのか。その理由は諸説あるが、いまだ解明されていない。

マチュ・ピチュの歴史保護区

高地にあったため外部からの侵略を回避

インカ帝国は文字をもっていなかったため、その歴史は今でも多くの謎に包まれている。古くからのアンデス文明を受け継ぎ、彫金・織物・土器など独特の文化が栄えた。
なかでも石の加工・建築技術が特徴的であり、インカ帝国の首都クスコは、精巧な石垣の土台の上に宮殿や神殿が建てられた。石垣の石と石には隙間がなく、剃刀も通さない精度で密着している。
しかしインカ時代の多くの建造物は、16世紀のスペイン侵略の際に帝国の終わりとともに破壊されてしまった。マチュ・ピチュは標高2,400mを超える尾根に築かれたため侵入を免れ、その石積み技術の高さを今に伝えている。

マチュ・ピチュの歴史保護区

高い降雨量と緻密な水路で水源を確保

マチュ・ピチュの水路は石でつくられ、豊富な水が流れていた。しかし険しい山にポンプを使わずに、どのように水を引いたのか。
実はマチュ・ピチュ周辺は雨が多く、水に恵まれていた。そのため遺跡から少し離れた森の中に湧き水があり、水源を確保できたのだ。水路は山から引いた水が斜面を下っていくように緻密に計算され、畑や居住地など広範囲に水を供給。山の斜面に沿ってつくられた段々畑では、届けられた水を利用してジャガイモやトウモロコシなどを栽培していた。また生活や儀礼のための水場が16か所も設置されており、インカの人々の優れた利水技術が見受けられる。
マチュ・ピチュに人々が暮らしたのは約100年と言われているが、水路は500年経った現在も機能しつづけ、水を届けている。

マチュ・ピチュの歴史保護区

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